2 低被爆をどう避けるか
気をつけるの一言に尽きる。
残念ながら気のせいだとしてごまかそうとする頭の良い人たちが少なからずいる
科学的には・・・と言い数字をあげて、こっちが正しいとか間違っているとか主張する。頭が良いという錯覚の権威を振りかざし上手に自分達の有形無形の利益に誘導する。
科学的に・・・ということは即イカサマといっていい。
西洋近代科学は合理的な再現性を重視される。それゆえに仮定された条件が重要になる。条件がそろわなければ成立しないことも多く、条件に合わない事象はすべて排除される。科学は世界のほとんどすべてを捨て、仮定された世界で成り立っているのである。仮定された世界で成立したものは部分的には有用かもしれない。しかし現実の世界には絶対に嵌ることはないのである。にもかかわらずめんどくさい数字を挙げ、正しさこそ絶対的なもののような印象を与えようとする。こうして都合よく素人をごまかすことができるのである。政官業学ともに。(報道も業に含む)
直ちに健康の被害がないことは正しいことかもしれないが、敏感な人にとっては直ちに影響があるらしいと見られ始めている。知見はまだしっかりしていないが、わかる人にはわかる。それが大事なことだと思う。鈍感な人は免疫力が強いのだろうか?あるいは直ちに必要ないのかもしれない。
生物に課せられた宿命として「気をつける」こと
「いのちてんでんこ」津波に限ったことではない。環境の変化に応じて生きて行くのが生物の宿命である。ひとつの個体が取り込んだ変化はその個体が対応しなければならない。いかにいやでも代わってもらえることではない。厳然とした自明のことである。いやなら取り込む前に避ける以外にない。騙される以上の知識で避けるか?頭の良くないワタクシはそれは諦めた。気をつける、気を磨く。なんとなく「気がする」ほうを頼りにしたほうが、間違い(正しくない)としても頼りになる。実感がなく、知識に頼ろうとしてきたから騙されるし、情報により右往左往するのである。
幸い即致死量の食品、空気、水ではなさそうだから試しに(仕方なしに?)食べてみるが、違和感があったり、おかしいと感じたり、何か気になるものは避けるべきであろう。放射性毒のみならず、添加物、薬品など、ほかの問題も含め、自分のこころで判断する以外ない。頭や目口鼻においしいものが基準ではなく、まずくても胃に落ち着くもの、腑に落ちるものが安全の基準である。
自ら判断するためには常日頃から気を育て、気を鍛えることは避けない。自然の気を受けられるように多少不便でも自然の流れに沿った生活を心がける。快適で過剰に衛生的な生活は免疫能力を高めない。食品でも「気」の弱いものは満足感が少なく「気」がつくまでたくさん食べることになる。口においしくするためにセシウムを論外としても何が入っているかわからない。いったん粗末でいいから安全なものだけで体内の毒素を少なくしてみると次に食べたときに良くわかる。
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妖しいタマゴ以来、やっと調子が良くなってきたと思ったら、
妖しいりんごチップスにやられてしまった。
おいし~~
るん。久びりに高級な味~~
ん?
まてょ_
ごくわずかな金属味。
乾燥しているので舌の上にしばらく置いていたその跡が
畳の色がそこだけ若いかのように
ひりひりとこころにしみる。
のどもいた。
やば。
一夜明けて今日は胃腸の違和感。
長時間触れていた部分(舌)のひりつきの減少
というかまだある!!
血液、体液(よ~するに体をめぐっている血や水)の違和感。
目のしばしば。
のどのいたいた。
たぶんセシウムなどというハイカラなものでなく
免疫がおちた時代に先取りインフルエンザ。
また食べるか?と問うと
頭と口は食べたがる。
のどから下はかなり反発。←(反原発に一瞬似)
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