Wednesday, January 18, 2012

またおなじはなし

科学は
合理的な再現性を重視される。
それゆえに仮定された条件が重要になる。
条件がそろわなければ成立しないことも多く
条件に合わない事象はすべて排除される。

 科学は世界のほとんどすべてを捨て
仮定された世界で成り立っているのである。
仮定された世界で成立したものは
現実の世界には絶対に嵌ることはないのである。

 科学的に・・・ということはその時点でイカサマであるということを白状しているようなものである。

多くのヒトビトは集団催眠にかかったように、ひとつの個性でしかない頭の良さに価値観を持ち、
優越感を感じたり、劣等感を持ったりして一喜一憂する。頭がよいとされる経歴を信じ、学者のコトバを頼るがそれはペテン師に引きずられているのと同根なのである。

 大切なことは頭を良くする努力ではなく、自分の感覚を伸ばし、洞察、実感、によることである。

いま、
プルトニウムを飲んでもなんともない人や、放射毒に対応できる人も居るかもしれないが、感受性が豊かな人も居るだろう。

 ドキュメンタリー「被曝の森はいま」で
多くの動物が死に絶えた後に外から入ってきた耐容能力の高いねずみが数を増やし、耐容能力の低いツバメが数を減らしていたという。

 福島県のみならず多くの地で、感受性の高いであろうと思われるヒトビトまで過大な被曝状態に置いたり、対策を遅らせることは許されることではない。広い地域で感受性の高いヒトは致命的な影響を受ける恐れがある。これはあるいは線量の過多の問題でなく個体差なのかもしれないが放射毒のホルミシス効果により元気になる人や、プルトニウムを呑んでも大丈夫なねずみのようなヒトは生き延びて行くことだろう。しかし、耐容力があるねずみのようなヒトでさえ放射毒はDNAの損傷、免疫能力の低下等々、どう考えても影響はあるはずだからリスクは低くしておきたいものである。
 
 一部では影響が出ていないと言い張る人たちが居る。TVなどで「福島の街はいま」元気な人で平穏に見える。しかし街中で捕獲できるサンプルは元気なヒトで、影響のあるヒトほど表に出ないのは当然だろう。(隠蔽も働いていそうだし)

あっ、
ワタクシは経産省の味方です~~!!
いまからでも襟をただし
まっとうにでなおしましょう。

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