Tuesday, December 26, 2006

正しさとは

私(たち?)のような凡人はほんの少しの限定されたところで正誤を論じている。
前提が違い、立場が違えば正しさは逆転する。
なのに、頭の隅っこで判断した正しさが評価され、説得力を持つことが多いが、
正しさの故の力ではなさそうである。

犬のDNAのように?、支配し、支配されるための習性に組み込まれた思い込みのようなものかもしれない。
多くの人々は、頭の良い人たちに支配されてはいるが、本心信用してない部分があるようである。
反対意見を述べるだけの論理を組み立てることが出来ないだけで、
直感的に把握しているのだ。
しかし、それをもって支配から逃れようとしない。
逃れようとしてもとてつもなく困難なことを察知するので、
なかなか行動するまでには至らない。
しぶしぶながらも?その集団に組しているほうが都合がよいのだ。
それどころか、その集団を守ることに努力する。

言葉で説明できる正しさはごく限定的な正しさで、
いわば、頭の隅っこの判断。
SF映画でもやってたけど、「フォ~ス」。
お偉いさんがいう教えの解釈。
自分の欲求。
それらを超越した「フォ~ス」に従えということはとても大事なこと。

補足しておくけど、自分らしく、とか自己実現とか、自分の心に忠実になどとささやくのは、
とても甘いささやきだけど、ある意味、悪魔のささやきのようなもの。
鬼のように、自分を捨てろ、自分をなくせというのは天の声。

捨てれば捨てるほど豊かになってゆくものなあに?
わかってるとおもうけど、じぶんのこころ。
しかし、実感することは結構難しい。

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