採用基準
太古の昔より、中国の科挙を習い頭のよい人を役人として採用する習慣にある。
優秀な人物がすべて正しさを実行し、他人のために身も心も費やすとは限らないことを知っている。
役人として必要なことは、第三者に奉仕することであることを考えれば、
優秀なずるがしこい者はご遠慮いただかなければならない。
しかし、現在のように優秀なものを採用している限り優秀なワルは紛れ込んでゆく。
これが、王制でも、独裁主義でも、帝国主義でも、社会主義でも、資本主義でも、自由主義でも、
およそ組織が存在するところに紛れ込み、次第に力を持ってゆくのである。
主義や体制の問題ではない。
組織の全体的な意志が、少しづつ身勝手な小ワル大ワルに染まってゆくのだ。
大学受験体制が論じられることがあるが、
問題はそこではない。
公の採用基準が優秀なものを選択するということになっているかぎり、
必ず形を変えて不都合が起こってくるのだ。
ではどうするか?
採用基準を変えることだ。
第三者に奉仕する志を持っているものを徹底して集めること。
その中には優秀なものもいるだろうし、凡人もいるかもしれない。
その中でさらに適材適所に配置する。
優秀なものは効率的な処理を要する部署に、
分析力のあるものは世の流れを読み、
洞察力のあるものは、企画や方向付けを行い、
凡人は窓口業務などをはじめ、直接の市民サ~ビスなどを行ってもらえばいい。
少しづつ善意の人材が生き続けていられる組織になれば、
大ワル候補の子分の小ワルは見つからず。
100年もせずに、大ワルを引き継ぐ者はいなくなり、
組織の中の第三者に奉仕する意識は大きく育っているだろう。
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