Hate is the Devil's love
戦争の種は平和のうちに芽吹き育てられる。
何がそれをはぐくむのだろうか?
戦争を望む人たちもいるようだが、
その人たちを支持したり許容したりする人たちもいる。
声を上げるより黙っているほうが楽なようにも思える。
声をあげることは私にも難しく感じる。
黙っているほうが都合がいい。
下手に攻撃されないようにとの日本的Egoismこれは自分のため。
そこで黙ってくれると都合のよい人たちの思う壺である。
Hateの思いはEgoを守る心の働きでもある。
和を乱されたくないとの思いからHateの思いを抱く。
なおさら都合がよくなる。
Hateの思いを抱いている人達はそのことで共感しあう。
ひとは数が多くなればなるほど同意を引き出しやすい。
感情的にEgoをくすぐると上手にHateを育てることが出来る。
さらに思う壺である。
Hateの気持ちを持っている人たちは代理攻撃を容認しやすくなる。
Hateはなんとなくイヤ、すかん、からはっきり差別、憎むまで幅の広い意味がある。
しかし根っこは同じにみえる。
マザーテレサは「愛の反対は憎しみではありません、無関心です。」といったという。
まさにそうだと思う。
愛憎はおなじもの、一本のレールの上で揺れ動く心の振れ。
無関心はそこからも隔離された世界。
個人にとっては地獄だが、Hateはまた別の地獄を作り出す。
Hate is the Devil's love.
戦争ははっきり目に見えて悲惨だ。
しかし目に見えないEgoとHateが結びつき成長し戦争を生むのではないのだろうか?
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