Wednesday, March 23, 2011

学者の変貌

いにしえに
学者というのは研究好きで、突き詰めるあまり孤高の存在になり易く、
その故清貧に甘んじている者がイメ~ジとしてあった。
職人もまた。

経済の誘惑か?

職人は消えゆき、
学者の関心はポストが先になってしまった。

と思うのは勝手だが、はたしてそうだろうか?

優秀な頭脳で自己便益に秀でた同類の官僚と仲良くなれば
何かと都合が良いことが直感的認識でよくわかる。
これは庶民でもわかるほどだ。
研究の合間にでも仲良くなっていれば
その筋のネットワークが出来上がる。

同じ性能なら、知っているほう。
有名が有利。

これは天才以外の優秀なる者から庶民まで選択の重要な基準になる。

競争選抜といいながら、
面接が用意されているので好都合である。

優秀さは単なる個性であって価値ではない。
善良さの基準でもない。

国を傾けるのは
見目麗しい女性であることは極めてまれである。

歴史に消えて行った多くの国は
支配者や官僚の腐敗に因るものがほとんど
半数以上であろうかもしれない。

そして、その支配階層に支配されながら
学識をご宣託として都合の良いように
披露し、利用させる。

委員会では反対陳述をする弁護士役の
反体制学者は始めから排除される。

というか、
体制側の(馴染みので支障があるなら有名な)
学識者が選ばれる。

日本人にはいくつかの性格があるようだと思うが、
優秀な+自己便益能力ですべてが支配されている。
学者すらそうなってしまっているようにかんじられる。

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