しゅうきょう 2
いきなり再掲しますが、
もしアナタがカミサマだったら、
何もわからない野蛮人(失礼。差別用語かもしれない。未開の人という意味ではない。文明人でもいい)に教え諭すとしたらどうする?
まず、やっていいことと、よくないことを教えると思わない?
それから、それまでの文化習慣に沿った上で、わかるたとえでいろいろ教えると思う。
そこで得心した人たち、あるいは教えを授かった預言者たちはは、
直接カミサマと対話できない人たちのために預言としてことばで伝えると思う。
これでカミサマのこころを理解と行をおこなうことで
カミサマのこころを得心し、共感する道をたどりやすくなったとおもうでしょうが、
実はズレていることに気付かないことがあります。
後日正しくないことをしてきされるとこまりんぼになる~~と、
教えの矛盾を正したり、わかりやすく修正したり、都合の良くないところを削除したり、
人の集団の中で「決定版!聖なる教え~」を作りかえてゆく。
ここまでは信者のためのわかりやすい教えということで納得もできるが、
疑いを持たず、集団の中で行を行い、離反しないように、
やがて、階級、格差構造をしっかりつくること、経済的な基盤をつくるために、
総会に都合の良いように「これらの教え」を遵守し「戒律」を守ることを要求するようになりはしないだろうか?
前にも書いたけれど、
頭の隅っこで理解し、尚且つ共感したばあい、
全宇宙的理解、共感ではなく、単に個の中の理の範疇で共感し得心しただけ(悟ったつもり)になっていることがある。
(ま~一応自分のことは棚に上げていますが・・・うっ、、そのと~りでございますだ。。。)
カミサマのこころとは少しズレたところで、
人々は集団を形作り、
人の意志が紛れ込んだ集団の意思すなわち、カミサマの御心でア~ルということにならないだろうか。
もし、アナタがカミサマなら、こうした集団をどうしますか?
しっかたないな~~
と思いつつ、見捨てることなくフォロ~しませんか?
また、もしアナタがカミサマなら、
状況が変わっても、以前の教えを頑なに守り、
これだけが正しいのだと、じょっぱる(情張る、または強張る)人をどうしますか?
しっかたないな~~
と思いつつ、見捨てることなく、はらはらしながらフォロ~しませんか?
またx2、もしアナタがカミサマだったら、
理解はトンチンカンでも、心優しく、人のために尽くしている人を見たら、
えこひいきをしないまでも、とてもうれしく思いませんか?
カミサマたちもそう思ってるみたいです。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home