Wednesday, March 16, 2011

教育の成果

日本の教育界の不断の努力により
学業成績優秀者を褒め称え
多くの特権を与えてきた。

またそうしたヒトビトを再び教育界に戻し
多くの学業優秀者を育成する努力をしている。

成績優秀者の内にはその優秀な頭脳を用い
自己便益を合法的に巧妙に図り
(場合によっては以前大分でシッポを出したような非合法も含まれる)
指導、ないし支配的地位についているものが多からずいる。
(裏社会を知るものは全国的に大分的の構造は存在すると言う)

いにしえの時代には「言い訳をしてはいけない」
と教えられたものだが
上手に言い訳をしてみなを納得させるものは
なぜか優秀な頭脳を持っている。

近年、アメリカ的な価値観が広まり
ディベートの能力が評価されてきた。

ディベートは次元の異なるものでも
自分の土俵に引きずり出し
自己便益にとって都合の良い知識理論を披露し
相手の主張を論破し自己主張を押し通すものである。

ディベートには優秀な頭脳だけでは不足であるが
今の日本ではかなりの部分まかり通ってしまう。
というのも素朴で善良な庶民にとって
頭脳優秀に弱い体質ないし
引け目をかんじるような教育習慣によって
学歴とか、知識の披露などをされる
なにか違うと思いつつも引き下がるしかない。

余談になるが振り込め詐欺とかペテン師とか
優秀な頭脳で素朴な庶民を翻弄する。

教育の本当の成果は
あたまの隅の一部だけを訓練開発した
知識の記憶や、理論の披露では決してない。

知識は実感を伴い
直感から理論を構築できる能力である。
言うならば実感を伴う深い洞察力を育成することである。
またそれらは善良なる倫理観を伴うものである。

現在の教育界は程遠い。

自己便益を図る能力は
動物として生きるうえで
必要な能力で本能といえる。
それゆえに、特に教育で開発しなくても自然にできる。
優秀な頭脳の持ち主は自然に自己開発できる。
しかもそれは庶民の及ぶところではない。

公務員も必要資質は第一に優秀な頭脳ではない
というのはこのためである。

資質、志を最重要条件に第一のふるいにして選別しなければならない。
しかる後に優秀な判断力、行動力のあるものを選別すべきである。

それがなされなかった優秀なるヒトビトの活動の結果が
今日の日本発世界恐慌を引き起こしたのである。

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