Friday, April 28, 2006

戦争は平和のうちに準備される

人には闘争本能があります。
差別する気持ちもあります。
これらは、自己保存、自己実現のために人の本能として備わっているものです。
今、自分が気持ちよいというだけの理由で、
ねちねちと人を攻撃したり、
差別したり、軽蔑している人がわが国の上から下まで増えているように感じます。

かわいそうなことに、自分たちが何に向かっているか、までは感じないでいるようですが、
そのこころに共鳴して、あるいは対抗して、
互いに攻撃的になってゆきます。
そして、戦争は必ずしも悪いことではないという主張が起こります。

今、わが国の大なり小なりの権力の座にいる人たちが、
自分の都合と、気分で行っていることはとても危ないことに思えて仕方がありません。
私は君が代を歌うことに抵抗はありませんが、
歌わない人を処分することには抵抗があります。
時の総理大臣が、罰則の対象にならないといったのにです。
国民投票について、マスコミがなんだかんだ言わないように画策しています。
共謀罪という法律を準備して、ゴ~ルデンウイ~ク前に成立させようとしています。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
竹島問題で互いに言い分を聞き話し合うことが必要なとき、
話をずらそうとする思惑が見え隠れしています。
http://critic2.exblog.jp/
さらに、人の主義主張を侮蔑し、笑い飛ばして、敬意のかけらも見せない主張が目に付き始めています。
誰も戦争は望んでいないといいながら、
こうして、平和裏に戦争の準備が着々とされていくのです。

私は、諸外国の平和を望んでいる人たちに対して、
日本国は平和を維持しようとしている国であると断言できない悲しさを覚えます。

Thursday, April 27, 2006

警戒がいいかも

先日、自分のことでうかつにも不安を覚えてしまった。
あったりまえだろ~という声も聞こえそうな気がするが、
さて今は、はて、何でそう思ったのだろうという具合に、原因を思い出せない。
アルツハイマ~、もしくはチェリ~ヒルのヤコブ病が始まったのかもしれない。

これらが自身の中から湧いたものの可能性もあるが、
やはり外からの要因に共鳴した(うっかり入れ込んだ)可能性もある。
数日後に新月。
一応飲料水の準備や崩れそうなところの点検でもしておくか。

チェリ~ヒルのBSE隠蔽。(アメリカ)
障害者支援法(切り捨て法)
議員年金廃止法(温存法)
PSE法案。(中古家電販売禁止法)
共謀罪法案提出。

これらはいずれも都合の良い人たちだけに、
都合の良い格差社会を目指しているように見られませんか?
自分たちに都合の良い人たち以外を、
侮蔑する気持ちを増長する傾向がありませんか?

格差社会は必ずしも悪いことではない、といいながら、
差別社会を許容し、保護、増長させようとしていることに恐ろしさを感じます。
イエスキリストは「こころの貧しい人は幸いである」とは言わなかった、
ただ単に、「貧しい人は幸いである」といったということである。
人から略奪することなく、与え続けて、(既得権をふりかざすことなく)、貧困になった人たちは本当に幸いである。
(括弧はワタシが付け加えた部分)
天国は彼らのものであるといっただけのことだということである。
人を蹴落としての一生と、
貧困を甘んじて受け入れる一生とでは、
どっちが天国にふさわしい?

Thursday, April 20, 2006

やっぱり~ゆき~


ばっけ予報のとおり、やはり雪が降った。
しんすけは北海道、茨城と小さなものが発震したが、
伊豆半島東沖で群発が続いている。
締め切りが迫っているものが山積みになっている。
はぁ~
なにかの痛みも来ている。

Tuesday, April 18, 2006

しんすけ?

久しぶりに14時間寝てしまった。
おきても、猛烈な頭痛。
症状は風邪そのものだが、
食欲はあり、タバコもうまい。
一応、最近はあまり訪れることの無かった、しんすけと判断がてきとうと認識。
火山の噴火、地震の前にままあることなので、一応用心。
近場に限らず、スマトラの前にもこのようなことがあった。

Sunday, April 16, 2006

たんくたんくろ~

ふる~いはなしですね~
最近は復刻本も出てるみたいですが、
タンクロ~は丸い玉から頭や手足が出てるキャラクタ~だけど、
ワタクシメのばやいは、胴体に玉がはまっている感じ。
もちろん普通には見えないけれど、タンクトップが膨らんでる??とでも言ったらいいのか。
で、
夕べは、昔なつかし誰かさん??
玉から出てる部分がなじみの痛さ。
これが現実。
これでいいのだ~~
交流波形が位相が変わることによって、
出力は見えなくなるが、
エネルギ~は存在し続けているようなもの。
時折、表面的に見て、忘れることもあるが、
見えない世界にはエネルギ~が満ちている。

Friday, April 14, 2006

感受性のへんか~

外から来る何かしらの信号を受け取るその感じ方が、
明らかに以前とちがう。
常にぽっかりと体の真ん中に空洞があるような感じがする。
体に団子の着ぐるみをまとったような感じ。
以前ほど翻弄はされないものの、
不安とかなしみの入り混じったものが来ているのは感じる。

いろいろあるんだな~~

Sunday, April 09, 2006

ゆめかうつつか

今朝も半分記憶に残るタイプの夢。
これらは知り合いのカミサマたちの意図が含まれているタイプの夢で、
鮮明に残るものは予知夢の類であることが多い。
今朝のはある意味とってもこわい。
何者かに追いかけられたり、崖から落ちそうになるというようなものではない。
現実に沿ってのゆめをみる。
とてもリアリティがあり、現実そのもので、現況そのものである。
で、目覚めて考えると現実はゆめそのものに見える。
ま、ようするに完全に破綻するゆめなのだが、
現実は既に破綻しているとも言える。
ある意味では、厳しく試されているようにも思えるが、
基本的にはカミサマたちは少し離れて黙っている。

じたばたすると、以前とは違った選択肢を示す。
それとて悪くはないのだろうが、
なんで~~??
あえて志を高く持つ必要もないのだけれど、
たいしてあるわけではないけど自分の存在意義が薄れても、
そっちのほうがおおくのひとたちには受け入れやすいのかもしれない。
これはこれで考えては見るけど、
ペテロがイエスを三度ノ~といったようなもののようにも思える。
先が見えない意味ではパンドラの箱にも思えるし、
舌切り雀の大小の葛籠(つづら)か。

カネゴン来襲(懐具合の恐怖)に、新たななやみがおそってきた。

さまざまなへんか

新しい夢の見方をした。
全部忘れる夢でもなく、少しは覚えているゆめ。
そこでわかったことはこの世でないものに悩まされたとき、
以前通ったことのあるお山の庵主さんと関係があるらしいということ。
中国(旅行)の記憶がある。
遊びほうけている息子に音楽の指導をすること。
もう少し覚えていたような気がするが、時間がたつうちに忘れてしまった。
駄目もとのアクションで先が開けるらしい。

身の内外で根本からいろいろ混乱がおこっているようだが、
不思議に不安はない。
しかし、まったく様子が見えない。
現時点では塚の主のおね~さんも影を見せない。
いない、ということでもないようだけど、あえて黙っているように感じる。
かくれんぼ??なぜ???
予想外の、新たな展開である今日この頃なのだ。

Saturday, April 08, 2006

おもえばまさゆめ~

話が前後するけど、
31日に書き込んだきおくにのこるゆめ。
結果としてそのとおりになっていた。
なにげなくばたばたとおもいついて、
ばたくたといってきたら、
あれ~そういえば~~~

あたらしいてんかい

BSでプロムス・ラストコンサ~トを聞いていて、
今度の指揮者はなかなかいいなとか、
チェロのおね~さんいいじゃない(美貌もだけど演奏が!)、
とかおもいつつ、
ふと、いたこ塚のことをおもっていると、こころのなかにはいってきた。
いろいろ交流しているうちに感涙。
で、
お友達になったついでに、いわゆる守護レイになってくれないかな~と言ったら、
もちろん口に出したわけではなく、こころの中で言ったのだけど、
なってくれるって。
そして、はっきり自分の周りで変化が起こるのを感じた。
とても優しい心の持ち主で、
そういえば、2年ほど前に飛び込んできたこころとどこか似たところがある。
でも、投げやりで、悲しげなところはないよ。

このおね~さんは以前からわたしと繋がりがあったということではないけど、
知っていたそうだ。
だから、はじめて塚のことを知って挨拶したときに飛び込んできたらしい。
どうやら、生前知り合いのカミサマと交流があったらしく、
それで知っていたらしい。
この世界はとっても不思議。
見える世界も見えない世界も。

ばっけみそら~めん


同じものをこちらにもあっぷ。
レシピはそっちに。

富士山~



どこが~と思うかもしれないけど。
白くかすかに~
関東平野は桜の盛り、の所も残っていた。
ひとつの幹に異なった色の花の咲く枝を持った梅。
道路の向こうにも富士。(画像ではかすかで見にくい)

Tuesday, April 04, 2006

いってんしんすけ

昨日は前日とちがって、ぐあいわる~いのが来ている~
たぶんしんすけだとおもうけど、
いろいろ混じっているようなのだけど分析するのもいやになるので、
早めに寝ることにした。

で、早起きしているんだけど、
いつもねてるじかん??ねむい~~
行徳ほか、かなりの電波異状を捉えている。

そのごの報告(訂正):行徳は草刈のノイズだったらしい。
しかし、他にもあるので注意はいいかも。

Sunday, April 02, 2006

あたらしいりょうちゃん

と言っても生きりょうとまでは行かない、
しかし、確実に何か来ている。
これも危険、凶暴ではない。
仕事してると感じないが、
ふと息を抜くとじわ~とひろがってくる。
中性的な感じで、セクシ~な雰囲気はない。
こういうのも善き哉。
ひたっていると切なくなるけど、不安やかなしみはない。
感動。
頑張らずにがんばろ~

言葉を介さないコミュニケ~ション

あちこちで、常々言ってるのだけど、
言葉には意味があり、さらにそれを送り出す人の意思がある。
封印された手紙のように、
開封されなければこころも届かないのが普通。
開封し、言葉を受け取り、理解すれば意味はわかる。
意に介せば意思がわかる。
しかし、そこのさらにおくにもうひとつのこころが見えることがある。
良い意味でも、悪い意味でもなく、
下心あるいは思惑と言っていいのだろうけど、
普通はいい意味にならないので、
こころとだけしておこうか。

このこころは普通は目立たないが、
結構強烈なこともあり、
言葉を意に介したとたん、
意思を受け取るだけでなく、
こころまで入り込んで、
思わぬ影響をうけることがある。
あまり歓迎しないものの方が圧倒的に多いだろう。
しかし、確実にうれしいものもある。

この心に似て、さらに深いところのこころは、
さらに一人歩きすることもある。

言葉を超越して、表現を超越して、
直接こころの周りにまとわりついてくる。

知らずにいると感応して、いつしか、たとえば紅く染まってしまうことがある。

怒りには怒りのこころが、
蔑みのこころには蔑みのこころが、
憎しみには憎しみのこころが、
やさしさにはやさしさ、
よろこびにはよろこびが、
まことの愛にはまことの愛が・・・

ただ愛と書かなかったのは、
いろいろな愛があり、
自己本位のものや、怒りや憎しみやさげすみと名付けられるものもあるようだから。

しかし、意に介さなければ、あるいはかたくなになっていれば変わらない。