言葉を介さないコミュニケ~ション
あちこちで、常々言ってるのだけど、
言葉には意味があり、さらにそれを送り出す人の意思がある。
封印された手紙のように、
開封されなければこころも届かないのが普通。
開封し、言葉を受け取り、理解すれば意味はわかる。
意に介せば意思がわかる。
しかし、そこのさらにおくにもうひとつのこころが見えることがある。
良い意味でも、悪い意味でもなく、
下心あるいは思惑と言っていいのだろうけど、
普通はいい意味にならないので、
こころとだけしておこうか。
このこころは普通は目立たないが、
結構強烈なこともあり、
言葉を意に介したとたん、
意思を受け取るだけでなく、
こころまで入り込んで、
思わぬ影響をうけることがある。
あまり歓迎しないものの方が圧倒的に多いだろう。
しかし、確実にうれしいものもある。
この心に似て、さらに深いところのこころは、
さらに一人歩きすることもある。
言葉を超越して、表現を超越して、
直接こころの周りにまとわりついてくる。
知らずにいると感応して、いつしか、たとえば紅く染まってしまうことがある。
怒りには怒りのこころが、
蔑みのこころには蔑みのこころが、
憎しみには憎しみのこころが、
やさしさにはやさしさ、
よろこびにはよろこびが、
まことの愛にはまことの愛が・・・
ただ愛と書かなかったのは、
いろいろな愛があり、
自己本位のものや、怒りや憎しみやさげすみと名付けられるものもあるようだから。
しかし、意に介さなければ、あるいはかたくなになっていれば変わらない。
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