Tuesday, April 05, 2011

大本営発表 政官業学の合法的犯罪は無罪

政官業学の合法的犯罪
日本的合法マフィア集団

日本的教育の成果として知的レベルの高いものが評価される。
そのなかにあって自己便益能力の優れたものが主導権を握る。
仕事をこなしつつ便益ネットワークを拡大強化して行く。
民間では起業前後から構築しなければならないが、
官公庁には伝統的な構造がすでに出来上がっている。
それを利用しながら少しずつ改良強化して来た結果、
世界文化遺産ともいえるような構造体が出来上がっている。
そしてそれはすべての分野において強力な便益関係を形作っている。
あまりに広く便益ネットワークが広がっているので、
関係者にとっては他のネットワークの不都合が発覚したにしても、
自分の属するネットワークと同じ構造であることを熟知するあまり
温かな目で擁護しようとさえする。

フクシマ13号等問題

政官業学の日本的マフィアプロジェクトであり国策とされている。
発端はオイルショック。
電力需要に対応するため原子力発電プロジェクトが計画される。
うたい文句は
クリーンである。
コストが安い。
戦争が国策になれば軍需産業に多大な利益が転がり込む。
同様に、
原発が国策になれば関係業界に多大な利益が転がり込む。
業から政に選挙応援や場合によっては献金などで便益が図られる。
官は業に天下りのネットワークが作られる。
学は業や研究所、大学のポストが強化される。

シナリオは次のようになる。
官は需要予測等を提示する。
でっち上げでも構わない。
クビに成ることはなく、
想定外とか、予測が甘かったで済ませることができる。
民間関係機関に数字を出させればなお責任は軽減できる。
第三者委員会や有識者として気心の知れた官OBや関係者を集め
必要性に裏付けを与え、企画の責任を分散させる。
学は安全部会や専門委員会の立場で企画にお墨付きを与え、
低コストで安全と言われる基準を提示する。
政は官の作り上げたシナリオに沿って法律をつくる。
ここにこれらのプロジェクトは合法となる。

問題が発覚した場合は
責任はたらい回しにされる。
いざとなれば業界の末端の民間人にクビをくくらせ
世間の目をそらすことができる。
官僚は少し我慢さえすれば配置換え程度で済ませられる。
政治家のような大悪はなく
あっても責任逃れの小悪程度に見てもらえる。
ほとんどの官僚は優秀でいつも正しく間違ったことをせず
政治家の関与が道筋を曲げると思わせるために
黒革の手帳からちょっとリークすれば
マスコミは政治家の金権体質を追求する。
こうして問題は解決されることがなくうやむやになる。
斯くして業者と政治家が変わったとしても
合法マフィア構造は維持されることになる。

旧来、公共事業には政官業の癒着構造があると言われていたが、
原発問題では学の関与が目新しいとも言える。
しかし、実は目新しいのではなく
陰に隠れていた学の根が姿を表すことになっただけのことである。

二体問題は単純に方程式で解き得ると言われる。
しかし三体問題に成ると途端に難しくなる。

同様に政官業の三体問題は難問である。
優秀な頭脳の集団の叡知は長い間に改良を重ねて
合法マフィア活動を続けてきたのであるから、
一筋縄ではいかないのは当然であろう。
それぞれの行動は合法化され、
責任は巧妙に責任転嫁できる仕組みになっている。

この度はさらに増えて四体問題である。

とここで、あることに気がついた。
三体問題と思っていたが
実は政官業と学の二体問題であるのだということだ。
しかもそれは学を強力な武器にしたヒトビトの一体問題なのである。

問題はすでにわかっていた。
以前から何となく主張していたこと。

優秀な頭脳。
自己便益能力。

この二つの要素が備わってはじめて官と学が成り立つ。
政は程々おだてていれば丸め込める。
政は我ら凡人には不用の長物のように思えるかもしれないが
人心掌握のために、また弾除けのために絶対に必要なものだったのだ。

しかし、合法マフィア活動の底に共通にあるものこそ学の根なのである。

学はそれ自体、単なる個性であって価値ではない。
身体能力の強いものがルールを決め、フェアに戦えばスポーツになる。
表現の意思を持ち(無意識でも)動きをコントロールするなら舞踏になる。
哲学を持ち、精神性を表現できるなら芸術になる。
頭が良いだけでは価値ではない。

わが国の教育がただ優秀な頭脳を求めてきた結果、
優秀な頭脳集団組織の中に
本当に価値のある優秀な頭脳を排除してきた。

独創的で叡智のあるものは理解されず、
哲学や倫理のあるものは煙たがられる。
経済性のあるものがもてはやされ、
関係者にわかるような成果が求められる。

教育界においては
深い疑問を抱く生徒は落ちこぼれてゆき、
深く考えずに処理能力の高い生徒が評価の対象になる。
当然、そうした生徒や学生が次の教育に携わる。
マニュアルにあることは上手に処理できても
想定外の事象には対処できず、
真に独創的なものは生まれてこない。

下請けの町工場のハイテク技術に依存し日本のものづくりは成立していると言われる。
そこにあるノウハウは学校教育の成果とは別のところにあると町工場のオヤジは言う。

日本的行政構造を変えなければならない。
公務員、教育関係者の体質を変えなければならない。
現在の公務員を法律に保護のもとに変えることができないのであれば、
採用基準を変えることである。
国家負債が増え、民間と実質の格差が拡がっている現実を踏まえ、
採用の第一次試験では
公務員としての哲学を持ち、低賃金でも市民に奉仕する精神を持ったもの
を選ぶべきである。
次いで学力試験をしても良い。
逆にしても同じように見えるかもしれない(現行そうであるともいえる)がまったく違う。
理由は考えて欲しい。

Labels: , , ,

0 Comments:

Post a Comment

<< Home